50問50答集

50 五座三座の勤行の廃止は、世界広宣流布の時代という時に合致している。五座三座の勤行は御書や宗史に照らして何の根拠もない

平成16年9月9日、創価学会は、五座三座の勤行を完全に廃止すると発表しました。この日行なわれた第41回本部幹部会の席上、会長の秋谷栄之助が、「方便品・自我偈の読誦と唱題による勤行を創価学会の正式な勤行として制定する」として、次のように発言しました。

このほど、創価学会の『勤行』および『御祈念文』として、『方便品・自我偈の読誦と唱題』による勤行と御祈念文を制定いたしました。
池田第三代会長の就任以来、世界広宣流布が大きく進展し、現在、世界190カ国・地域に、SGIの同志が活躍しております。
この本格的な世界広宣流布の時代の到来という『時』のうえから、方便品・自我偈による勤行について、正式な制定を要望する声が強く寄せられてきました。
そこで、このほど、師範会議、総務会で慎重に審議したうえ、『方便品・自我偈の読誦と唱題』による勤行を創価学会の正式な勤行として制定することになりました。
また、従来の御観念文についても検討し、『御本尊への報恩感謝』『広宣流布祈念』『所願祈念ならびに回向』の三つの部分からなる世界広宣流布の時代にふさわしい内容で制定をいたしました。

このように、〝今この時代に、五座三座の勤行をするのは「時」に適っていない〟とした秋谷は「功徳の根本はどこまでも正行の南無妙法蓮華経にあるのであって、助行にあるのではありません。『方便品・寿量品の読誦と唱題』には、大聖人の仏法における勤行の本義と目的が欠けるところなく備わっているのです」と言い切ったのであります。

しかし、五座三座は、宗門古来の修行の伝統方軌であり、創価学会も創立以来60年間続けてきた勤行方式です。それを「時代の到来」とか「会員の要請」などによって安易に廃止することは、創価学会が軽薄なご都合主義の集団となったことを物語っています。

また「会員の要請に応えて」信心修行の基本を改変するなどは、「されば機に随って法を説くと申すは大なる僻見なり」(全集846頁)と仰せられた日蓮大聖人の御教示に背く行為というべきです。

五座三座の様式を守るべきことについては、総本山第26世日寛上人も、

「若(もし)堪(たえ)タラン人ハ本山ノ如ク相(あい)勤(つとむ)ヘシ若(もし)爾(しから)ズンバ十如自我偈題目ナリトモ五座三座ノ様式相(あい)守(まもる)ヘシ」(金沢の信徒・福原式治氏に宛てたお手紙)

と、すなわち、総本山から遠く離れた地の在家信徒といえど、可能な人においては、当時の総本山と同じように方便品・寿量品の長行・唱題を、それぞれ五回繰り返して行ない、それができない場合は、方便品の十如是までと寿量品の自我偈に略してでも、五座三座という形だけは守れ、と仰せられているのです。

さらに日寛上人は、こうした勤行の様式を含む本宗の化儀を、誰が立てられたかということについて『当流行事抄』に、

「但我が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」(六巻抄 193頁)

と仰せられています。
すなわち、日蓮正宗富士大石寺の勤行の形は、他ならぬ宗祖日蓮大聖人がお立てになり、それを日興上人以来の御歴代が、師弟相対の信心をもってそのまま受け継ぎ、遵守してこられたということであります。

まさに、
「相伝に有らざれば知り難(がた)し」(全集 92頁)
で、御書の面(おもて)しか見ることのできない不相伝家には、知り難き伝承といえましょう。

これを、「時が云々」「要望する声が云々」などと言って、好き勝手に改変するなど、「計我(けいが)」の誹(そし)りは免れられません。そればかりか、日蓮正宗大石寺を「〝化儀〟と称し、儀式、形式ばかりを重んじる」などと誹謗するに至っては、日蓮大聖人や日寛上人の御教示に背反する、増上慢も甚だしき大謗法であります。

かつて池田大作も
「日蓮正宗においては、また学会の指導は、五座三座というが、自分は三座二座でいいではないかなどというのは懈怠です」
と指導していたように、今の創価学会は懈怠・堕落の集団となった、といえます。