創価学会は、平成26年1月29日付けの『聖教新聞』に
≪これまで、創価学会は、日蓮正宗の解釈に基づき、「弘安2年の御本尊」を日蓮大聖人の出世の本懐としてきた。その根拠は、「聖人御難事」の「余は二十七年なり」の一節であった。しかしながら、この両者を結びつける解釈は、古い文献にはなく、あらためて「聖人御難事」そのものを拝して、大聖人が教示されている出世の本懐の意味について考察しておきたい≫
などと発表し、「出世の本懐」の意義を、弘安2年の大御本尊から改変しました。

大聖人が立宗から二十七年目(弘安二年)にして出世の本懐を遂げる、と自ら宣言あそばされた『聖人御難事』に対し、創価学会では、
《大聖人御自身が、本抄において、直接、「弘安2年の御本尊」について一言も言及されていない。(中略)本抄は、「仏」(釈尊)と「天台大師」「伝教大師」を挙げて、それぞれの出世の本懐を遂げるまでの年数を示し、そのうえで、「余は二十七年なり」と言われて、この27年間、御自身が大難に遭われたことを強調されている。
(中略)その意味で、「出世の本懐」の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である》
などと、解(わか)ったような解らないような、無理な解説(怪説)を加えているのです。
しかし大聖人の出世の御本懐が、弘安二年御図顕の本門戒壇の大御本尊であることは、御書に明らかです。
すでに『阿仏房御書』において、曼荼羅御本尊が「出世の本懐」である、と明言しておられ、それに加えて本抄『聖人御難事』で、立宗から二十七年目の弘安二年に出世の本懐を遂げる、と宣言あそばされたのだから、数多(あまた)の曼荼羅御本尊の中でも「弘安二年の御本尊」こそが真の出世の本懐(本懐中の本懐)であることは以上のとおり御金言によって明白であります。
ここまで明らかな御金言と道理を示されても本当に理解できないというのではれば、それはもはや当人の程度の問題であります。
《「弘安2年の御本尊」について一言も言及されていない》などと言うのであれば、「池田大作センセーが永遠の指導者」だとか、「創価学会が仏意仏勅の広宣流布の団体」だとは、御書に一箇所も書かれていないではありませんか。
なお、かつての創価学会においても、戸田会長は以下のように指導していました。
「弘安二年の御本尊は、本門戒壇の大御本尊と申し上げ、日蓮大聖人が出世の本懐として、弘安二年十月十二日に御図顕あそばされたのであります。
『聖人御難事』に余は二十七年にして出世の本懐を遂げると仰せあそばされています。日寛上人は、大御本尊について「就中弘安二年の本懐戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり」(『観心本尊抄文段』)といわれています」(『聖教新聞』昭和二十七年六月十日付)