「会長本仏論」は、池田氏が自らの著作である『人間革命』を用いた自作自演から始まっています。「会長本仏論」とは、「帰命の対象は、希有の師である創価学会会長(なかんずく池田大作)である」との邪義を指します。
まず池田大作は『人間革命』第三巻において
「この若い革命家の『妙法への帰命』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬ」(182㌻)
と述べました。これが、会長本仏論の原点です。ここで、著作の中では帰命の対象を「戸田城聖」としていますが、実際に、当時の創価学会における「希有の師」としての立場にあったのは池田会長であったことは、周知の事実でした。
つまり、『人間革命』の趣旨とは、「妙法への帰命とは、池田大作に帰命することである」ということだったのです。こうした池田の意を汲んで、幹部達は以下のような言辞をもって、会内に「会長本仏論」を浸透させたのです。
「まさしく、現代における〝人〟(にん)への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる」
「池田先生のみ主師親三徳兼備」
「(会長は)己心の久遠の仏としての生命を各地された」
事実、池田は昭和53年当時、こうした誤りを宗門から追及され、自ら罪状を認めて謝罪しました。
「私が展開した昭和52年の一連の指導に、発端の因があった」(昭和54年4月2日付聖教新聞)
「会長に帰命するとか、あるいは会長が主師親の三徳を具えているとか、本門弘通の大導師である等と論ずることは大なる間違いである」(昭和53年3月5日池田指導)
ところが、宗門へ反発を強めた平成三年頃から、「学会が訂正・謝罪等を行ったのは、宗門を守るためだった」などと言って前言をひるがえしました。
そして、以降の『聖教新聞』等の学会機関紙誌には、「池田先生こそ大聖人の仏法を現代に蘇らせた永遠の指導者」「人類の叡智」「人類を導く師匠」等々、池田礼賛句が並べ立てられていきました。
大聖人様は、
「南無とは梵語なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり」(全集708頁)
と仰せです。
帰命の対象は、「人」は久遠元初の釈尊たる御本仏日蓮大聖人、「法」は末法の法華経たる南無妙法蓮華経の大御本尊に他なりません。