総本山第66世日達上人の御指南と池田大作の発言を掲載します。
最近よく、本山で戦争中、天照大神のお札を貼ったとか、拝んだとかで、それだからして、本山の血脈相承がどこかへ飛んでいってしまった、というようなことを言っている人(※正信会のこと)がままあります。それについて、少々申し上げたいと思います。
総本山において、天照大神のお札を貼ったことは1度もありません。
今時の大戦争において、国において軍部が大変に力を得て、我が国を滅ぼしたような状態でございました。
昭和18年ごろ、いよいよ戦争が激しくなってきた時分、この総本山においては当時客殿・御宝蔵・庫裡・六壷、それから大奥と、そのちょうど真ん中あたりに書院がございまして、・・・そこは大書院ですから、御本尊は祭ってありません。その所を、昭和18年の、戦争がいよいよ盛んになった時に、国で借り上げてしまった、国に借りられてしまったわけです。その時にその書院を「中部勤労訓練所」ということにされてしまったのでございます。・・・その時に所長である上中甲堂と云う人が、書院の上段の間へ天照大神のお札を祭ったんです。
それに対して、こちらは再三異議を申し立てたんですけれども、しかし国家でやる仕事である、国の仕事であるから、いくらこちらで何を言っても、それは及びもしない。何とも仕方がないから、そうなってしまったのであります。
ただそれだけのことで、別に我々がその天照大神のお札を拝んだことなどありもしない。また、実際その中へ入って見たこともない。入れてくれもしない。まあ借家同然で、借家として貸したんだから向こうの権利である。そういうような状態であって、決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかいうことは事実無根であります。(第66世日達上人/『大白法』H3.4.1)
18年7月、中部勤労訓練所という、徴用工訓練のための機関が大坊の書院(200畳敷き)を利用しはじめた。神道に毒されていた指導者たちは、この書院に神棚をつくり、天照太神を祀ってしまった。総本山の宗務院は、当局者に厳重に抗議をした。(中略)再三にわたって、日蓮正宗の教義を懇切に説き、神棚の撤回を迫った。
(『人間革命』第1巻「千里の道」258頁~)
『痛快 日蓮正宗法華講員の創価学会破折マンガ・アラキがゆく!③ 』「学会の戦争翼賛、神札容認」 漫画より↓



