50問50答集

26 その人の信心によって成仏が決まるのだから学会葬・友人葬で問題ない

「その信心によって成仏が決まる」と言っても、その信心が正しいものでなければならないのは当然のことでしょう。しかも葬儀は亡くなられた方の一生をしめくくる大事な儀式ですから、どんな形でもよいはずはありません。

学会葬・友人葬は、僧侶不在で執行され、読経・唱題の導師を勤めるのも、僧侶ではなく学会幹部。導師曼荼羅はなく学会のニセ形木本尊を使用し、位牌には戒名でなく故人の俗名が書かれる、これが現在の学会の葬儀なのです。

学会葬を行なった人の中には、僧侶のいない異様な葬儀を目の当たりにして、親類から責められたり、 「あんな葬儀では、故人が浮かばれない」と後悔する人も多いようです。

御金言には
「よき師と・よき檀那と・よき法と、この三つ寄り合ひて祈りを成就し」(御書1314頁)全集 法華初心成仏抄 550頁
と仰せのように、御本尊(よき法)と、御本尊への信心(よき檀那)、そして僧侶の導師(よき師)、このすべてが揃ってこそ、初めて成仏を叶えていただけるとお示しです。

この三つを揃えて執行されてきた日蓮正宗の葬儀を、詭弁を弄して誹謗し、勝手に作り上げた学会葬―、そのようなものを大聖人がお認めになるはずがありません。
創価学会の「学会葬」で送られる故人は、成仏どころか、かえって謗法の悪因縁によって、大変な苦悩を受けなければならないのです。