50問50答集

48 世界中の識者や指導者が、池田センセーの素晴らしい指導を求めている

創価学会では、令和2年3月20日『聖教新聞』に、「20世紀を代表する歴史家であるイギリスのアーノルド・J・トインビー博士と池田大作先生の対談集『21世紀への対話』(日本語版)が発刊されて45周年」と大々的に宣伝し、特設サイトまで設けています。このトインビー博士との対談が、池田の虚像の宣伝に大きく貢献してきたことは事実であり、学会ではこれまでも

◆「今日に至るまで、この池田・トインビー対談を読み、世界中の多くの指導者や識者が触発を受けている」
◆「多くの世界の指導者が座右の一書に加えている」
◆「世界中の知性から脚光を浴び続けている」
◆「トインビー対談を愛読する識者や国家指導者は多い」

等々と宣揚してきていました。

ところがこの対談は、後に化けの皮が剥がされ、故トインビー博士の孫娘・ポーリー・トインビー(英『ガーディアン』紙のコラムニスト、BBC社員)氏から、池田の実像を酷評する批判手記が発表されているのです。

『私は見た 池田創価学会の実態を』(ポーリー・トインビー氏手記)より

この本は、祖父の著作の中でも最も忘れ去られたような本で、性教育から始まって、汚染、戦争などに至るまで、とりとめもなく長々とした、二人のおしゃべりを収録したものです。
(中略)
私の祖父は、日本を訪問した際、まったく池田氏には会っていません。祖父の昔からの日本の友人達も、祖父の最晩年の、どちらかというと漠然としたインタビューをもとに、池田氏が大袈裟に祖父の思い出を書きたて、自分のために利用していることに対し、明らかに苦々しく思っていました。
(中略)
すべての行事が素晴らしいものであるかのように繕われ、写真が撮られ、そっけない型どおりの会話が、あたかも非常に重要な会談であったかのごとくに取り扱われ、記事にされたと。(1984年5月19日付・英紙『ガーディアン』)

このように、トインビー博士の遺族が嫌悪する、池田との関係を創価学会が悪用してきた一方で、池田本人はトインビー博士について「過去の人・観念の学者」などと蔑んでいたことが判明しています。その発言は昭和50年2月21日東京信濃町の創価文化会館で行われたモスクワ大学のククーシキン歴史学部長との面談に記録されています。

〈池田〉私の数ある中でも、このトインビー博士との対話が、私にとって最大のものです。先生も歴史学者として、世界にとっても、私にとっても一番大切な方です。

〈ククーシキン〉ありがとうございます。歴史というのは人民の記録です。

〈池田〉人民が過去、現在、未来と誤りのないよう平和の大道を教えてくれる灯台である。(中略)私の恩師は遺言として、歴史史観、これだけは勉強せよといった。その理由からも、私はトインビーと会った。
端的にいって立派な学者ですが、しかし、過去の人です。と共に学究だが、革命も社会活動もしていない、いわゆる観念の学者です。〈きびしいね、と秋山に〉その意味においては、その1点が、唯一の私にとっての不服でありました。〈文藝春秋社〉から出します。とうとうやったね。4年がかりか。この絵も東山がいいといって、日本で最高の人。しかしね、私からみればみんな遊びみたいなものだ。

いかがでしょうか。池田のトインビー博士についての本心が現れているではありませんか。最後に創価学会元教学部長の証言を紹介して終わります。

当時、特別書籍と聖教のスタッフをあわせて文書課という代作担当の部門をつくり、私が文書課長をしていました。 もちろん大作さんはほとんど見ないで、そのまま本にした。彼はいつもそうでした。
トインビーとの対談集だって、実際に対談したものは一つも載っていない往復書簡集です。桐村さんが原稿を書いて出すでしょう。すると、すぐに「翻訳!」です。翻訳ができると、次は山崎鋭一(欧州責任者)さんを通してトインビーに届ける。
トインビーは自分一人で質問を書いたり、質問への応答を書いたりする。こちらに届くと、またすぐに「翻訳!」となる。そして桐村さんのところに回ってくる。いちばん読んでいないのは大作さん。(元創価学会教学部長・原島嵩氏)