50問50答集

22 「御本尊は我々の胸中の肉団にある」のだから、大御本尊にお目通りしなくてもよい

創価学会のこの指導は、会員を戒壇の大御本尊から引き離すためになされているものです。
そのために学会では『日女御前御返事』の
「此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり」(御書1388頁)
の御文を利用しています。

しかし、この御文の意味は、一切衆生の生命に成仏の因となる仏性がそなわっており、御本尊に向かって唱題することで、はじめてその仏性が開かれ、そこに真実の仏界が湧現する、ということです。

学会は、昭和52年路線の当時にも、同様の主張をしたことがありましたが、これについて総本山第66世日達上人は、
「我々は、御本尊の明鏡に向かうとき、凡夫理体の仏性が境智冥合して、はじめて成仏できるのであります。自分が自身を拝んで、なんで成仏できましょうか。そこに、御本尊の大事なことがあるのであります。もし、かってに自分自身を拝んで成仏するというならば、大聖人はなんのために御本尊をご図顕なさったのか。戒壇の御本尊を、大聖人のご当体として残されたのでありましょうか」(日達上人全集2—5—600頁)
と破折されています。

胸中に御本尊があるから、戒壇の大御本尊にお目通りしなくてもよいという学会の考えは、大聖人のお心に背く増上慢きわまりない説というべきです。