50問50答集

3 日顕上人が正本堂を壊したのは民衆の真心からの御供養を踏みにじる暴挙ではないか

正本堂は、創価学会の邪教化によって正法広布が遠のいたため、その建立された目的意義を失ってしまったばかりか、「池田本仏論」という前代未聞の大謗法の依(よ)り処として創価学会に利用され続けていることから、清浄であるべき総本山の境内地に残しておくことはできないとの判断から、第67世日顕上人が正本堂の解体を決断されたのであります。

これには当然、解体費用もかかりますが、正しい仏法を清浄に護るという務めはお金の問題ではありません。また、民衆の真心からの御供養を、池田本仏論などという大謗法のために利用した、池田大作の所業こそ、「暴挙」として責められるべきでありましょう。

なお、この正本堂解体に関連して、無知な創価学会員が「謗法の学会の供養で建った建物だから正本堂を解体した、というのなら、学会の寄進した多くの寺院も明け渡すべきだ」などといって騒いでいますが、それは、正本堂解体の理由を正しく弁えていないための、全く的外れな論議であります。

昭和40年当時の創価学会が中心となって発願した正本堂は、まさに広宣流布達成の時の戒壇たらんことを願って着工した堂宇でした。ところが、この正本堂に対する池田創価学会の執着、思い入れには、当初より異常なものがあったのです。

昭和42年10月の建立発願式で、池田大作は、
「詮ずる所、正本堂の完成をもって、三大秘法ここに成就し」
と言っていますが、後からこれを説明するかのような形で、北条浩(理事長兼副会長・当時)も

「すでに大聖人ご在世中に、慧(え)たる本門の題目、定(じょう)たる本門の本尊は建立された。そして、ただ戒(かい)たる本門の題目のみが『時を待つべきのみ』と後世に残された。(中略)ここに正本堂の建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法上重要な意義を考え」云々(『大白蓮華』昭和45年5月号)
と述べています。

この意味は、
「大聖人は、御在世中に本門の本尊と本門の題目は顕わされたが、本門の戒壇だけは顕わされなかった。それを、七百年後の今日、池田大作率いる創価学会が出現して広宣流布を成し遂げ、本門の戒壇を建立する。これによって三大秘法が完結するのだ」
というものであります。

これによって彼らが言わんとしたのは、
「大聖人ですら顕わすことのできなかった本門の戒壇を、池田センセーが建立される。したがって、池田センセーは大聖人よりも勝(すぐ)れる仏である」
との〝池田本仏論〟でした。

要するに池田創価学会にとって正本堂=本門戒壇の建立は、〝池田大作が大聖人をも凌(しの)ぐ仏である〟という池田本仏論の現証として「重要な意義」を持っていたのであり、これこそ彼らが正本堂に異常に執着した、その最大の理由だったのです。

しかし、正本堂完成の年にあたる昭和47年4月28日、日達上人は

「正本堂は一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む現時(げんじ)における事の戒壇なり、すなわち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂(だいでんどう)なり。但(ただ)し現時にあっては未だ謗法の徒(と)多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇(しゅみだん)は蔵(ぞう)の形式をもって荘厳し奉るなり」
との訓諭(日蓮正宗における公式決定)を発せられ

〝現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、広宣流布の達成には至っていない。したがって現時点における正本堂は、未来の広宣流布の暁に本門戒壇たることが期待される堂宇である」旨、御示しになりました。

これでは、正本堂がただちに本門戒壇建立とならないため、不満を抱いた池田大作は、正本堂完成後も、日達上人及び日蓮正宗に強い圧力をかけましたが、ついに日達上人の決定をくつがえすことはできなかったのです。

池田らは、その後も、折りあるごとに「正本堂建立をもって広宣流布は明確に終わった」「正本堂は本門戒壇である」と蔭で言い続け、邪心を募らせていきましたが、平成3年、ついに日蓮正宗から破門となりました。

これにより、創価学会員の大半が邪教謗法の徒となり、一時は近い将来に期待された日蓮正宗の広宣流布は、大きく遠のきました。

そして、広布達成を象徴するはずだった正本堂(そもそも、この正本堂という名称自体が、広布の暁に建立される「富士山本門寺本堂(御書1699頁)(『百六箇抄』全集867頁)」という金言に由来していました)も、その存在意義を失ったのであります。

さらに、池田創価学会では、呆れたことに、破門されて日蓮正宗大石寺と無関係となった後も、なお、「正本堂は本門戒壇である。これを建立した池田センセーは、仏法上、未曾有の大偉業を成し遂げたのである」等と言い続けていました。

この現実(正本堂が池田本仏論の依り処として利用され続けていること)に鑑み、日蓮正宗では、〝ここで池田本仏論という前代未聞の大謗法の根を断ち切るべきであり、また、そのような建物を清浄であるべき総本山の境内地に残しておくことはできない〟との判断から、正本堂解体を決断したのであります。

最後に、正本堂という建物が、建築物として見たときに、どのような代物であったのか、正本堂を取り壊した解体業者の証言を紹介しておきましょう。

「正本堂を見ての第一印象は、大きいものだなというものでした。しかし、子細に柱や壁等を見ると、赤茶色に変色している部分がかなりある。これは、そうとう内部では鉄骨の錆びが進んでおり、コンクリートも酸化しているなと思いました。
事実、解体に着手するための事前調査として、正本堂の前に立っていた円融閣の大円柱、を叩き、表面の大理石のタイルを剥がしたところ、中から赤茶色の水がドッと溢れ出てきました。

もっとも驚いたのは正本堂の地下です。地下室の扉を開けたところ、なんと赤茶けた水が2メートルほども溜まっていたのです。「こりゃ、舟がいるな」と話し合ったくらいでした。また、他の部屋にはイタチなどが住み着いていたのでしょう、動物のフンが大量に堆積しており、本当に驚きました。

もともと正本堂の敷地には潤井川が流れており、湿気の多い土地だったとか。ですから僧侶方の通路に敷かれている絨毯なども、湿気でびしょびしょになり、すぐにか黴びて使い物にならなくなったということでしたが、実際に絨毯はどこもかしこも黴だらけ。その絨毯をはがしたところ、床にはいくつも亀裂がはいっており、すでにそうとう、湿気等によるコンクリートの劣化、破壊が進んでいるとの印象を受けました。
同様に屋根の劣化も進んでおり、随所で雨漏りが発生。雨水が大量にコンクリート内部に浸みこんでいました。

あれだけ巨大で重い屋根を、劣化した鉄骨とコンクリートで支えていることには、そうとう、無理があったと思います。もし、この建物をそのまま使い続けるとしたら、年間10億円以上のメンテナンス費用が必要になったでしょう。そうしたメンテナンスを加えていても、少なくとも10年に1回は、さらに本格的な補修工事が必要になったかもしれません。

創価学会は千年あるいは1万年はもつと主張されているようですが、とてもとても。
30年でボロボロですから、百年、いや50年もてばいいほうでしょう。それも先ほど申し上げたように、本格的な補修工事を何度も行なった上でです。

大御本尊を安置していた須弥壇の基礎を調べるために、記念品を埋納してあるという部屋にも入りました。入る前、この部屋はコンクリートで密閉していると、説明を聞いていましたが、実際に行ってみると密閉しておらず簡単に開きました。しかも内部の壁は錆(さび)が浮いて真っ赤になっていました。」
(『フォーラム21』平成15年1月1日号より)