50問50答集

27 大聖人の時代には僧侶による葬儀はなく、戒名もなかった

まず1点目の「大聖人の時代に僧侶が葬儀を執行したという事実はない」という批判についてですが、まるでお話しになりません。

そもそも、大聖人の時代から、きちんとした葬儀が行われていたことは、『宗祖御遷化記録』にも明らかなことです。さらに、大聖人が富木常忍に送られた御書に、
「御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、(中略)然る後、随分に仏事を為し、事故無く還り給ふ」(御書957頁)(全集977頁)
と。

すなわち、富木常忍が、母の死去に際して、下総より身延山まで遺骨を抱持(ほうじ)して参詣し、大聖人のもとで葬儀を営んだことが記されています。

さらに、日興上人御筆の『曽禰(そね)殿御返事』に
「なによりハ市王(いちおう)殿の御乳母(うば)他界(たかい)御事申はかり候ハす、明日こそ人をもまいらせて御とふらい申候ハめ。又聖霊(しょうりょう)御具足(ごぐそく)法花(ほっけ)聖人の御寶前(ごほうぜん)ニ申上まいらせ候」(歴代法主全書1巻153頁)
とあります。

つまり、日興上人が「明日こそ人をまいらせて」お弟子の僧侶を遣わして「御とふらい申候ハめ」お葬式をいたしましょう、と言っておられるのです。

次に「戒名が江戸時代に既成仏教が金儲けのために始めたことで、それを日蓮正宗が取り入れた」という批判についてですが、これも、でまかせの大嘘で、戒名は大聖人の時代からあったのです。

その最初の事例は、大聖人が御父に「妙日」、御母に「妙蓮」という御名を授けられていますが、まさしく、これが戒名なのです。

学会では、「それは法名だ」などとすり替えていますが、戒名とは本来、仏門に帰依したときに授けられるもので、法名と同義であり、そのことは学会で出している『仏教哲学大辞典』にも出ています。