創価学会では
「従来は御本尊に関する権能が法主一人に限られたが、現在は『一閻浮堤総与』の意味からも法主一人に限定する時代ではない」(『聖教新聞』平成5年9月20日)
などと主張していますが、これは、創価学会の「ご都合主義」による思いつきの邪説であり、「一閻浮提総与」の意味を歪曲した邪義です。
本宗においては『本因妙抄』に
「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」(御書 1684頁)(全集877頁)と仰せのように、本尊にかかわるすべてのことは、御法主上人の権能であり、このことは一貫して不変のものです。
「一閻浮提総与の大御本尊」とは、「全世界の人々が信受すべき御本尊」との意味であって、民衆が御本尊の権能を持つということではありません。
そもそも「従来」と「現在」の時間的な立て分けは何を根拠にしているのでしょうか。
学会では
「宗門は長い間宗門護持の時代であったが、今後は流通広布の時代と定義されるであろう」(淳全下1620頁 取意)との、第65世日淳上人のお言葉を悪用し、「御本尊に関する権能は法主一人に限定する時代ではない」との主張をしています。
しかし、この日淳上人のお言葉は妙法流布の相を区分されたものであって、御本尊の権能や僧俗の立て分けを述べられたものではありません。
創価学会では、かつて
「御法主上人の御もとに、日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことを、不動の路線とする」(『広布と人生を語る』3‐271頁)
と発表しながら、破門されるや、「今日はその時代ではない」などといって、簡単に「不動の路線」を変更しています。学会では「不動」という言葉のもつ意味がわからないのでしょうか。このような学会の主張を「詭弁」というのです。