50問50答集

1 日蓮正宗は「C作戦」によって創価学会を一方的に切り捨てた

日蓮正宗より破門された創価学会では、会員に対し、「創価学会の発展を妬んだ日蓮正宗側が平成二年の夏、創価学会を切り捨てるための『C作戦』を練り上げ、その計画どおりに創価学会を破門にした」などという宣伝を繰り返しています。

しかし、これは全く事実ではありません。
真実は、創価学会側こそ、昭和49年頃より「創価学会が日蓮正宗を支配する。それが叶わなければ、日蓮正宗と徹底的に闘って分離独立する」との構想を抱いており、その当初からのプランに沿って行動してきたのです。

なぜ学会がこうした嘘を執拗に宣伝したかといえば、「学会は被害者だ」という構図を作り、被害者意識で学会員の心を統一し、総本山への愛着の念を断ち切らせるためです。

たとえば、子供を親から引きはがす時に、いろいろ、もっともらしい根拠を挙げて「君は親から捨てられたのだよ」と言えば、その子供は親を信じられなくなり、むしろ親への憎しみを募らせていくことになるでしょう。卑劣にも学会は、そういう人間の心理を巧みに利用したのです。

では「C作戦」とやらの真相はどうだったのかといえば、もちろん宗門には学会をカット(CUT=切る)するための作戦など、もとより存在していませんでした。
むしろ、学会のほうにこそ、昔から(正本堂建立後の昭和49年頃から)「学会が宗門を支配する。それが叶わなければ、宗門から独立する」という構想があったのです。

このことは昭和49年当時の『北条報告書』『山崎・八尋文書』の中に、当時の学会首脳陣の言葉として明確に述べられています。

このような学会の路線が表面化した時、当時の御法主・第66世日達上人は、「宗門は、たとえ小さくなったとしても、大聖人の仏法を正しくお護りしていく」(趣意)との御決意で毅然と対処され、この時は学会が宗門に謝罪し、問題はいちおう収束しました。

しかし学会は、その後も陰で、「宗門支配もしくは独立」の機会を窺い続けていたのです。このことは、後に作成された『宗門問題の本質』と題する学会内部文書を見れば明白です。その邪な思惑は、平成2年(創価学会では総仕上げの年と位置付けていた)に再び表面化しました。

まず、その年の春頃から、池田大作のスピーチに、露骨な宗門批判が混じるようになり、宗門に対して高圧的で不遜な言動をとり始めました。

そこで宗門側は、平成2年7月17日に予定されている宗門と学会の連絡会議で学会側の真意を問うことにし、その準備にかかりました。

ところがその情報が事前に漏れたらしく、連絡会議の当日、学会側は第67世日顯上人や末寺に対する批判・悪口を一方的にまくし立て、言うだけ言うと、宗門側には一言の反論も質問も許さぬまま、秋谷以下の学会幹部は「今日はこれまで!」と言って一斉に立ち上がり、帰ってしまったのです。

この学会側の話し合いすらできない一方的な態度に驚いた宗門側は、翌日、総本山において、日顯上人猊下御臨席のもと、今後の学会への対策を協議するための会議を開きました。

何といっても学会は、あの「昭和52年路線」の時に、「長期的にみれば(宗門)とうまく別れる以外にない」(北条報告書)との考えのもと、日達上人を威圧したり、僧侶方を恫喝して吊し上げたりといった卑劣な行為を平然と行なった団体です。

このような学会を正していこうとすれば、最悪の場合は、日達上人の時と同様、「手を切る」という事態になることも覚悟して、事を進めていかざるをえません。また、その覚悟なくしては、学会を正すことなど全く不可能なのは、誰にでも理解できることです。

こうしたことが種々議論されましたが、会議の結論としては、「学会に対して言うべきことを言うためには、まず宗門僧侶が自らの姿勢を正し、学会からつけ入られたりしないよう、綱紀粛正を徹底すべきである」とし、学会に意見や質問を投げかけることは「当分見合わせる」ということが決定されたのです。

ところが学会は、この会議に出席していたある僧侶のメモ書きに「C作戦」という言葉があると言って、「学会を切るための『C作戦』は、この会議で立案された」と宣伝したのです。

しかし、学会が入手したメモ下書きには、その僧侶が「それでは、この作戦はG作戦だ」と述べたことに対し、日顯上人が「GではなくてC」だと言われた、ということが記されているにすぎません。

実際にそのとおりに日顯上人が言われたかどうかも、個人の眼もの中の表現ですから定かではありませんが、仮にそのご発言があったとしても、それは会議の流れの途中で出てきた、「最悪の場合、手を切る(C)という事態になることも覚悟して」という意味にすぎませんから、それをもって、この会議が「宗門が学会を切るための作戦会議」であった証拠、と言うのは、あまりにも牽強付会(けんきょうふかい)が過ぎております。

なお学会は、この会議以前から取り沙汰されていた『C作戦文書』なる出所不明の怪文書を挙げて、宗門が学会を切るために作った計画書だと大騒ぎしていました。そして、その怪文書にある「C作戦」の語と、前述メモ書きにある「C」の語が一致しているから、「C作戦」は宗門の立案だということが証明された、というのです。

しかし、これは非常にバカバカしい決めつけです。
言葉が一致したのは、7月18日の会議で「C」という言葉が出た、ということを漏れ聞いた人が、その言葉を使って、いかにもそれらしい作戦文書に仕立て上げ、創価学会幹部に送り付けてからかったためである、ということが判明しています。

いずれにしても、この怪文書(C作戦文書)に記された計画は、平成2年7月19日以降の実際の宗門の動きと全く異なっており、会議の当事者でもない人物が勝手に作った怪文書だ、ということは誰の目にも明らかであります。

それ故、後年、日蓮正宗と脱落僧との間で行なわれた〝寺院明け渡し訴訟〟において裁判所の判決は、
「被告(脱落僧・吉川雄進)は、右対立状態に至った原因は、原告(日蓮正宗宗門)の画策実行した『C作戦』と呼ばれる作戦にある旨、主張し、(中略)右主張に沿う部分(前述のメモ書きやC作戦文書)があるが、これらは、いずれも一方的な陳述の類であり、その内容も客観的根拠に乏しく、また、これらを補強しうる的確な証拠もない」(平成11年4月21日・長野地裁松本支部)
と認定し、「C作戦」なるものの実在を否定しているのであります。

また、平成3年11月に学会が宗門より破門された時、会長・秋谷栄之助が

「魂の独立記念日、おめでとう」

「私どもは、信心の上からも黒い悪魔の鉄鎖を切って、自由に伸び伸びと、世界広布に邁進できることになったのであります。本日、ここで私どもが『魂の自由』を勝ち取った、創価ルネサンスの『大勝利宣言をしたい』と思います」(平成3年12月2日付『聖教新聞』)

と全国の学会員に祝辞を述べています。この内容を見ても、日蓮正宗から破門されたことにより、学会の分離独立という願望が叶った、計画どおりに宗門から離れていった、ということは明らかであるといえましょう。