目の前で学会員が女子高生に暴力
私は、創価学会を脱会するまで、地区部長・教宣部長として第一線で活動しておりました。
先日、同じ講中の婦人、その方の娘さん(高校三年生)と一緒に、折伏する目的で学会幹部Aさん宅を訪問しました。
Aさん一家はご夫婦も息子さん家族も皆、学会の活動家で、以前、私が近所に住んでいたこともあり、家族ぐるみで仲良くしておりました。また、ご主人は高齢ながら、折伏をしなくなった学会の中においては珍しく、よく折伏に出掛けている人でした。
私が知っている学会員の中ではAさんが最も折伏の実践をしている人でしたので、大聖人の法門についてきちんと話し合うことができるのではないか、と、少々期待を持って訪問したのです。
訪問すると、奥さんが出て来ました。「ご無沙汰しております。坂田です。ご主人はいますか?」と告げると、「はい…」と答え、奥にいるご主人を呼びに行きました。その時の奥さんの表情が、かつて見たこともない、凍りついたようなこわばったものでしたので、〝学会内では、そうとう私の悪口を言っているな〟と直感しました。
しかし、
「仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ず憎むべし。よし、にくまばにくめ」
(御書九〇六頁)
との御金言を思い出し、大謗法の学会から悪人のレッテルを貼られたことを、少々誇りに感じました。
奥から出て来たAさんは、私の顔を見るなり、「エホバみたいにプラプラ回っているおまえらを相手にしている暇はない。帰れ!」と言ってきました。私が「Aさんは、学会の中でも一番折伏をしている人だから、今日は信心の話をしにきたんですよ」と言うと、Aさんは唐突に、池田大作がソ連のコスイギン氏や中国の周恩来氏と対談したこと等をまくし立ててきました。
こちらから「信仰とは関係のない話でしょう」などと一言でも口を挟もうものなら「うるさい!黙って聞け!」と怒鳴りだすので、とりあえず黙って聞いていました。
池田大作の自慢を10分ほど話し続けたAさんは、独演を終えると、「こういうことがおまえらにできるか!?」「おまえ、何人折伏したんだ!」と声を荒げ、こちらの言うことは一切聞こうともせず、「いいから帰れ!」と言うや、同行していた婦人を二、三回、突き飛ばしました。
そこで娘さんが「傷害になりますよ」と注意すると、Aさんはいきなり娘さんの左頬(ほほ)を、思いっきり平手で殴ったのです。本当に、狂気の沙汰というしかない光景でした。ちなみに、娘さんの顔はだんだん腫(は)れ上がり、完全に引くまで一週間もかかったほどのケガでした。
さすがに若い女の子を殴ってしまって「まずい」と思ったのか、Aさんはすごすごと家の中に入り、再び出てきて、「今、警察に電話をした。叩いたことは悪かったが、警察が『帰ってもらえ』と言っているので、帰ってくれ」と一言残し、また中に引きこもってしまいました。なお、後日判明したところでは、警察に電話した、というのはウソでした。
私は、「これが、あのAさんか」とショックを受けました。
本当に〝創価学会のほうが正しい〟と思うのならば、きちんと〝折伏〟すればよいのであって、こちら側の話を一切聞こうとしないのは、最初から負けを認めているからだ、と思いました。ましてや、いい大人がいきなり暴力に訴えるとは、なんということでしょう。普通の人間としても常軌を逸しておりますし、ましてや〝仏法信仰者〟と呼べるようなものではありません。
〝謗法の池田大作を師匠と崇(あが)めると、ここまで人間がおかしくなるのか〟と思い、いろいろ考えているうちに、私は、創価学会時代に目の当たりにした、ある恐ろしい出来事を思い出しました。
恐ろしい発言に沸いた会場!!
それは、今から十年くらい前のことでした。私は、静岡県内の創価学会男子部の会合に参加しておりました。会合の名称は忘れましたが、当時の総静岡の男子部長も参加しており、各方面の代表による活動報告の場で、会場には二、三百人くらいの男子部が参加していた記憶です。
その時、登壇者の一人(三十代半ばくらい)が、得意満面に、
「先日、エレベーターで偶然、日顕(上人)と一緒になった。一世一代のチャンスと思い、後ろから刺し殺してやろうと思った」という主旨の発言をしたのです。
この発言に、会場は異様に盛り上がり、それを喜ぶ笑い声さえ聞こえてきました。
結局、その登壇者は「ここで犯罪者となっては、池田先生に申し訳ないので、思い止どまった」とのことですが、一歩間違えば恐ろしい事態が起きていたかもしれません。これは、猊下の乗る飛行機が墜(お)ちるように祈った、などという話とはレベルが違う話です。
私は、「仏法者として、殺人を企てたり、それを容認するようなことがあっていいものだろうか。こんなことが当たり前のように発表される学会は、本当に正しいのだろうか」と、釈然としない思いに駆(か)られましたが、誰に疑問を問いかけることもなく、長いものに巻かれるようにその場をやりすごしてしまいました。
今となれば、思い出しただけでもゾッとするような、狂気に満ちた場面です。いや、それ以上に、〝日蓮大聖人の後継者たる御法主上人を亡き者にする〟などという発言を耳にしながら、罪の重さも感ずることなく、ほとんど平然としていられた自分自身が、今さらながらに恐ろしくてなりません。
本当に、毒気深入(どっけじんにゅう)していたのだと思います。こんな恐ろしい創価学会に在籍していただけでも、計り知れない罪障を積んできたことは間違いありません。今は、日々、学会時代の謗法与同を御本尊様に懺悔(さんげ)申し上げ、自身の罪障消滅を祈念しております。
こうも違う!法華講と学会
話は変わりますが、私が創価学会で日常的に関わっていた主な活動は、聖教新聞の配達(月曜日~土曜日)と、地区部長としての役割であり、自宅は地区の拠点として提供していました。
その一線で活動している最中に(周りの学会員から見れば)何の前触れもなく、いきなりスッパリと脱会したので、その後の学会の地元組織がどうなったか、少々気になっておりました。
最近、以前の学会仲間から聞いた情報によると、なんと驚いたことに、私が地区部長をしていた地区は消滅してしまった、というのです。支部に三地区あったのですが、私が部長をしていた地区は、他に人材がおらず、他の地区に吸収されたとのこと。
私が学会にいる時も活動家の減少・高齢化は顕著でしたが、私が一人いなくなっただけで地区が消滅してしまうとは、あらためて、学会の疲弊した姿を実感しました。
こうした現実が全国的に広がっているにもかかわらず、創価学会は、連日、さも発展・前進しているかのように『聖教新聞』で報じているのですから、いかにいい加減かということです。
さて、私が法華講員となって約半年が経過しましたが、この間に、総本山の行事への参詣、あるいは勉強会への参加や、先輩方との折伏の実践を通し、法華講こそが本当に日蓮大聖人の教えどおりの実践をしていることを、日々実感しております。生活上でも、学会時代は行き詰まりの連続でしたが、法華講員となってからは功徳が厳然と現われてきました。
私は、学会からの脱会を考え始めた時期、損害保険の営業に転職することをほぼ決めていました。
じつは、そのこともあって、脱会を悩み躊躇していたのです。と言いますのも、保険の外交といえば、周りに身内や人間関係の濃い人がどれだけいるか、が大きなポイントになります。ところが、私は他県出身者で、周りに血縁・親族は誰一人おらず、日頃親しい人間関係といえば学会の人達だけでした。そこで私は、学会員をアテにして営業の輪を広げていくことを考えていたのです。
しかし、私が学会を脱会して法華講員となれば、当然、学会の人達からの協力など望むべくもなくなります。正直なところ私は、その損得勘定をして、かなり悩んでしまったのです。
しかし、最終的には、「謗法の人達をアテにしてもしょうがない!正しい信仰につくことで、全てが開けていくのだ」と気づき、脱会を決断したのでした。その決断が正しかったことを、今、あらためて実感しております。
昨年十月から保険会社に契約社員として入社した私は、保険の知識はゼロで、研修を受けるところからのスタートでした。また、契約社員ですので、研修で学びながら営業でも実績も上げていかないと、まず六ヶ月で契約打ち切りとなってしまいます。スタート時に六ヶ月間のノルマを知った私は、厳しい数字に驚き、はたしてクリアできるかどうか、とても不安に思いました。
ところが、総本山参詣、御講・会合の参加、折伏と、講中の先輩方と共に活動してくる中で、総本山参詣や折伏の直後に契約が飛び込んできたり、思わぬ人が応援してくれたりと、不思議なことが続いて実績が積み上がり、六ヶ月の契約更新基準を四ヶ月でクリアすることができたのです。
同期入社の約九十人の中には経験者も多いのですが、その人達ですら、まだ更新基準がクリアできず苦しんでいる人も数多くおります。そんな中で、何の人脈も持たず業界未経験の私が、こうして実績を上げられたのですから、御本尊様の御加護を感じずにはいられません。
おそらく、あのまま謗法の創価学会にいたら、私は、今度の転職もうまくいかず、ボロボロの人生を繰り返していたことでしょう。本当に法華講員になって良かった、と心から思います。今後も、なおいっそう信心錬磨に励み、一人でも多くの人を大御本尊様の御前に導けるよう、随力弘通してまいります。