脱会者の体験談

闇に葬られた弟(元・公明党国会議員秘書)の自殺 乗田照子さん

学会活動にのめりこんだ日々

私が創価学会を通じて日蓮正宗に入信したのは、昭和三十年、中学三年の時のことでした。

その頃、私の実家は、父の会社が倒産して、どん底の生活に陥っていました。その上、三人いた弟のうちの一人が百日ぜきで亡くなるなど、不幸が相次いでいました。そんな折に折伏を受けましたので、家の宗旨である真言宗こそが、じつは不幸の原因である、という日蓮大聖人の教えが、たいへんな衝撃をもって心に突き刺さったのです。母と共に進んで入信し、妹、弟たち、そして父も信心につけて、それからは、のめり込むように学会活動をしていきました。

高等部、女子部時代には、身を挺して池田大作と学会組織を守る人材になるよう、ひたすら育成訓練をされました。「池田先生が地獄に堕ちるなら、自分も共に……。それが師弟不二である」と教えられ、それを本気で信じて、学会活動に励んだのです。

昭和四十六年に、やはり学会員であった夫と結婚しましたが、婦人部になってからも、「大切にすべきは家庭ではなく組織である」と教えられ、家のことなど二の次で学会活動に夢中になっていました。

三人の子供に恵まれましたが、主婦である私は学会活動で四六時中、家にいないし、主人は毎日、一人寂しく酒を飲んで、時には子供に当たり散らすこともありました。いま思えば、子供たちは、どれほど辛く寂しい時を過ごしていたことでしょうか。

また、副本部長の任を与えられてからは、家計が苦しい中、『聖教新聞』を何部も取ったり、地区総会などの時は自腹で赤飯や飲み物を振るまったりもしました。
こうして私は、三十数年もの間、池田大作のため、学会組織のために、身を粉にして頑張ってきたのです。

弟の自殺と非情な学会

ところが、平成三年頃、夫が創価学会の異変に気づき、池田大作を批判したり、私の活動にも文句を言うようになってきました。
私は、聞く耳をもたず、「先生に弓を引くようなことをしてはならない!」と夫に言っては、ケンカになることも度々でした。

しかし、やがて組織からは「お寺に行くな! 登山はしなくていい!」という指導が頻繁に出るようになり、これには私もさすがに疑問を持ちはじめました。

そんな矢先の平成三年八月十三日、とんでもないことが起きてしまいました。公明党の国会議員秘書をしていた弟が自殺してしまったのです。

私には、とても信じられませんでした。
優秀な弟でした。国会答弁の原稿を作ったり、マスコミ関係者との交流もあり、公明党の中国訪問団の一員として、先陣を切って中国へも行った弟でした。弟の謎めいた日記のようなものも見つかり、「なぜ?どうして?」と、嘆き悲しむばかりでした。

さらに不審だったのは、公明党の職員が来て、その人と、創価学会の圏幹部をしていた三番目の妹と母とで話をした結果、〝このことが外部に漏れては池田先生に申し訳ないので、弟の葬儀は行なわない〟ということになった、というのです。弟と同居していた母も、その後しばらくは、近所の人々の目を避け、隠れるように妹の家に身を寄せました。

長姉の私には何の相談もないまま、事が進められたのです。それにしても、いったい、どうしてこんなことになったのか。弟は、一生懸命に学会活動をして、組織のために頑張ってきたのに、自ら命を絶つという、仏法上、考えられない末路となってしまいました。

そして、その弟の死について、創価学会や公明党は、なかったことのように扱い、一切は闇に葬られてしまったのです。そのあまりに非情な対応に、私は悔しくてなりませんでした。

そして、そのことがキッカケとなって、うすうす懐いていた池田大作と創価学会に対する不信が確たるものとなり、夫とも話し合えるようになっていったのです。

法華講で知った本物の信心

そのような時、たまたま法華講の方が二人、我が家を訪ねてきてくれて、近くのファミリーレストランで話を伺いました。

ところが、その日の夜遅く、妹からひどく興奮した電話が入りました。私が妙観講の人たちと話していたのを、地域の幹部が目撃し、青梅市の妹に連絡がいったのです。妹は必死で私を説得してきましたが、私は、弟の一件もあって、もう創価学会には何の未練もありませんでした。

善良な庶民の顔をして、人を惑わし、たぼらかす創価学会―こんなに恐ろしい組織はない、と思い、そんな団体で活動を続けてきた自分が情けなく、なんと愚かな月日を費やしてしまったのかと、後悔するばかりでした。

そして、夫と共に創価学会を脱会して、晴れて法華講員となったのです。平成四年十月のことでした。

法華講員となって、まず最初にびっくりしたことは、勤行・唱題の姿勢でした。創価学会では、皆、競うように大きな声を張り上げて唱題し、それが確信の強さであるかのように思っていたのに、講中では、皆さんが導師の声に耳を澄ませて唱和し、自分勝手に大声を張り上げる人など、一人としていません。

その唱題の声に、本当に御本尊様をお慕いする心、御本尊様の前に身を低くして信心に励む謙虚な心が滲み出ているようで、深い感激を覚えたのです。学会とはまるで違う荘厳な唱題の声に、私の心に安堵と喜びが込み上げてきました。そして、「一から信心をやり直そう。素直になって先輩の皆さんに異体同心していこう」と思いました。

それからは、学ぶことの全てが初めて聞く話ばかりでした。たとえば、「法統相続がなぜ大切か」とか「謗法厳誡」というようなことは、学会では一度も聞いたことがありません。また、「何のために信心をするのか」「罪障消滅とは」等々、御金言を通して教えていただき、目からウロコが落ちるようでした。

成仏の相を現じた夫の臨終

こうして新たなスタートを切ってから五ヶ月後の平成五年三月、夫が「体調が思わしくない」と言いだし、精密検査の結果、末期の胃ガンであると診断されました。夫の身体は、学会時代からすでにガンに蝕まれていたのです。

私は、突然の宣告に目の前が真っ暗になり、涙が溢れ出て、どうすることもできませんでした。涙でグシャグシャの顔で家にたどり着き、御本尊様に「たとえ一ヶ月でも、夫の寿命を延ばしてください! どうか成仏させてください!」と祈っていきました。

手術の前、夫は、講中の皆さんの手を借りて、総本山に参詣させていただくことができました。これが、夫の最後の登山となったのですが、夫は大変感激しておりました。

そして手術となりましたが、予想どおり、ガンはあちこちに転移していて、もはや手の施しようがない状態でした。覚悟はしていたものの、あまりに辛い現実でしたが、私は講中の先輩方に励まされ、「残された期間の中で、何としても罪障消滅し、成仏させなくては」と心を定めました。

三人の子供達も、講中の皆さんから折伏していただき、夫のために唱題するようになってくれました。長男は二十一歳、長女は十九歳、次男は高校に入学したばかりでした。とくに次男は、「どうせ法華講も創価学会と同じで、いつか家庭をかえりみない母親になるに違いない」と決めつけ、なかなか信仰できずにいましたが、ようやく共にお題目を唱えてくれたのです。

こうして、夫は、十月十四日、家族が見守る中、息を引き取りました。
日蓮大聖人様は、
「善人は設(たと)ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し」(御書一二九〇頁)
と仰せです。

夫の遺体は、このとおりの成仏の相でした。病院から帰宅した夜、さらに次の夜と、講中の皆さんが途切れることなく唱題してくださる中、遺体を納棺しようとしたところ、あまりの身体の柔らかさに驚いてしまいました。

また、ドライアイス等を入れなかったにもかかわらず、最後まで臭いも出ることなく、顔色も良く、いつまでも柔らかいままで、今にも枕から首が落ちてしまうのでは、と思うほどだったのです。

私は嬉しくて、子供達と共に、「これが成仏の相です」と言っては、親戚や友人に、夫の足の指まで動かして見せてあげました。
さらに火葬の際には、真っ白なお骨に、夫の兄弟達も皆、驚いていました。火葬場の方が「綺麗ですね」と言うので、「胃ガンだったのですが…」と答えると、「ガンの人は骨が黒くなるんですよ」と言われました。

この時、主人が御本尊様の御加護でガンを克服し、霊山へ旅立つことができたのだと確信することができ、本当に有り難くてなりませんでした。

功徳に包まれた日々

さて、主人が亡くなってから、私は、働けるかぎり働いて生計を立て、御供養もしていきたいと願い、御祈念していったところ、東京都の交通局での仕事に就くことができました。

女性ばかりの職場でもあり、コンビを組む相手によっては、とんでもないトラブルが発生することも多いと聞いていましたが、私の場合、良いパートナーに恵まれて、六十八歳の定年までの十五年間、無事に勤めることができました。

この不況の中、このように安定した仕事につけたのも、本当に御本尊様の御加護と感謝しております。

さらに定年後は、介護のケアスタッフとして働いているのですが、そこでもお客様から信頼していただき、毎日楽しく元気で働かせていただいております。

また、長男のことですが、長男は、夫が亡くなった後、交際していた彼女を折伏して入信に導き、結婚いたしました。
その長男は、以前は覇気(はき)に欠け、仕事が長続きしなかったり、働いているのに収入が得られなかったりで、それが私の一番の悩みでした。

ところが、法華講員として信心するようになってから、打って変わって明るくなり、しっかり働けるようになったのです。今では、四人の子供の頼もしい父親として、信仰を中心とした家庭を築き、嫁と共に確実に法統相続を実践しております。

なおまた、私と嫁とは、近所の人から「本当の娘さんかと思った」と言われるくらいに仲がよく、世間で聞かれるような嫁姑の確執などは、私たちには縁がありません。

このような満ち足りた幸せな人生が自分に巡ってこようなどとは、創価学会時代には夢にも思いませんでした。本当に法華講員になってよかった、と御本尊様に心から御礼申し上げる日々です。

この大きな御恩に報いていくため、これからも子供や孫たちと共に自行化他の信心に励んでまいります。