脱会者の体験談

功徳なき創価学会と訣別 経済面で次々と道が開ける 根本真理子さん

借金取りにおびえる毎日

私は、主人や子供達と共に、平成八年に創価学会を脱会し日蓮正宗法華講に入講しました。主人の実家は創価学会で、私も姉夫婦に誘われるまま、昭和六十一年に創価学会に入りましたが、その後、学会は日蓮正宗から破門され、あろうことか、幹部から言われるまま、我が家は御本尊様をニセ本尊と交換してしまいました。

ニセ本尊に換えてからというもの、急激に商売がうまくいかなくなり、夫婦仲は悪くなって、長女はぜんそくを発病、と、次々に悪いことばかりが起こってきました。

学会の幹部からは「新聞啓蒙と選挙活動をしないから良くならないのだ」と言われました。しかし、私は、自分で読んでつまらないと思う聖教新聞を他人に勧めたくありませんし、大嫌いな公明党の応援もしたくないと思っていましたので、学会の指導には従わず、そのために生活がうまくいかないとしても仕方がないと、あきらめていました。

そのような状況の時、まったく面識すらなかった法華講の方が、我が家が学会員であることをつきとめて、家に訪ねてきてくださり、創価学会が間違っていることや、ニセ本尊は不幸の根源であるから絶対に拝んではいけないことなどを、とてもわかりやすくお話していただきました。この折伏により、私達家族六人は、そろって創価学会を脱会、日蓮正宗に帰伏することができたのです。

しかし、帰伏した当初の私は、ひどくひねくれた性格で、班長から「しっかり信心していけば、必ず良くなる」と言われると、「じゃあ、頑張ってみます」と返事はするものの、内心では「良くなるはずがない」と思っていました。そして、誘われれば会合には参加するものの、勤行はしたりしなかったりという、いいかげんな信心の姿勢を続けていました。

これでは良くなるはずがありません。やがて、主人がギャンブルに狂いだして、収入の全てをそれにつぎ込み、ついにはヤミ金から借金までして、姿をくらましてしまったのです。
私もちょうど出産前後の時だったため、仕事をすることができない状況で、四人の子供達を抱えて途方にくれてしまいました。食べ盛りの子供達にも、いつもパンの耳を油で揚げて食べさせ、空腹を満たす、という状況でした。

家には、朝からヤミ金の恐ろしい取り立てが押しかけてくるようになり、大声で怒鳴り散らし、ズカズカと上がり込んでくるので、中学一年の長男は常に竹刀を握りしめていました。

全て自らの業から起こる!罪障消滅し安定した日々が

毎日毎日、借金取りにおびえる日が続き、泣いて暮らしていたところ、そんな私を心配して部長と班長が我が家に来てくださり、「この苦境を乗り越えるためには、しっかり勤行をして、周囲の学会員を折伏することですよ」と、私の信心を促し、一緒に勤行をしてくださいました。

すると、なんと、次の日に、半年間も行方不明だった主人が突然家に戻ってきたのです。
私は、「本当にすごい」と思い、これまでの不信だらけの心を入れかえて、先輩方の指導どおり、しっかり信心していこうと決意しました。

それからは欠かさず勤行をするようになり、勇気を出して、近所の学会員宅を訪問折伏しました。折伏した翌日は、朝から学会幹部が代わる代わる家にやって来て、口々にひどい言葉で罵ってきました。

すると、不思議なことに、罵られたその次の日から、連日あれだけしつこく来ていた借金取りが、ぱったりと来なくなったのです。

折伏ゆえに悪口を言われることで罪障を消滅させていただける、ということを、身をもって体験させていただき、「折伏はすごい。御本尊様に祈れば、願いは必ず叶うのだ」と確信することができました。

その後、経済面でも道が開かれました。
当時の我が家は、多額の借金を抱えて火の車状態だったため、会合に行きたくてもお金がなくて、電車賃を出したら全く残らない、ということも度々でした。

そのつど、躊躇(ちゅうちょ)してしまう心が起きましたが、「信心を根本にしていけば、絶対に悪いようにはならない」と励まされ、なけなしのお金で本部へ拠点へと歩みを運びました。すると不思議と、そのあとで日銭が入り、なんとか生活ができるようになるのです。

そのような中、もともとリサイクルショップの仕事をしていた主人のつてで、住まい付きの店舗を持つ会社に、私達夫婦と母が就職することができ、そこに移り住むことになりました。

その店は一階に店舗があり、二階に住まいが付いているのですが、家賃・光熱費ともに全額会社負担なので、以前住んでいた家の家賃と光熱費を合わせると、毎月十五万円ほどの節約になり、負担が軽くなった分、少しずつ借金の返済をしていくこともできるようになったのです。

さらに、社長がわざわざ住まいのリフォームまでしてくれて、広さも申し分なく、本当に夢のような出来事でした。

さらに驚いたことに、以前、取り立てに来ていたヤミ金業者が、四年ぶりくらいに突然訪ねてきて、「もう利息はいらないから、元本だけでも返してほしい」と頭を下げてきたのです。

そのヤミ金業者は、経営に行き詰まって、すぐにでもお金が必要な状況になったのだそうです。おかげで、元本だけの返済でよいことになり、無事に全額返すことができました。

御金言に、
「うへたる世に、これ離しては、今日の命をつぐべき物もなきに、たゞひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ」
(御書一五四四頁)

とあります。信心薄き自分ではありますが、先輩の大確信に導かれ、厳しい状況の中でも、仏道修行のお金を最優先に捻出して信心に励んでくる中で、一分罪障が消滅され、大功徳を頂戴することができたのだと思います。

しかし、このような功徳をいただきながらも、主人は全く信心に対して後ろ向きで、やがて勤行もままならない状況になってしまいました。

そのような信心状態ですから、当然のことながら、主人は、様々なことで精神的に追い込まれるようになり、また人生における判断も狂いはじめ、ついには、あれ程の好条件で入社した会社を辞めることにしてしまったのです。

会社を辞めれば、当然、住まいも明け渡さなければなりません。
引っ越しにかかる費用は持ち合わせていませんでしたが、知り合いのリサイクルショップの社長からお借りし、さらに、その社長が店舗も用意してくれて、毎月六十万円のお給料で主人を雇ってくれることになりました。

しかし、まもなく主人は、引っ越しの際に借りたお金も返せないでいるのに、突然、独立すると決めて、任されていた店舗を社長から買い取ることにしてしまったのです。

これにより、主人は、六十万の給料をもらえる立場を捨てて、店舗を買い取ったお金を、毎月数十万円ずつ分割で払っていかなければならない状況となりました。
信心を怠っているために、次々と判断を誤っていった、としか言いようがありません。

そして案の定、独立後、店の売り上げは急に落ち込み、ついに店をたたむことになってしまいました。

その頃の私は、〝主人が勤行もせず、信心の話をすると「うるさい」と怒るような状態だから、どうせ何をやってもうまくいくはずがない。仕事がうまくいかないのも、その結果として経済的に苦しいのも、全部主人が悪いのだ〟と、全てを主人のせいにしていました。

そのような私に先輩は、「それは御主人のせいではありません。あなた自身の苦しみは、あなたが過去に作った業(ごう)によって起こっているのです。全て自分に原因があるのだから、要は、自分自身がその業を消していけば、周りの環境も変わってくるはずです。他人のせいや環境のせいにしているかぎり、状況はよくなりません」と、指導してくださいました。

私はハッとしました。振り返ってみれば、私は、いつしか信心が惰性になっており、自らが御本尊様に真剣に祈って人生を切り開いていく姿勢を失っていたのです。

それに気づき、信心の姿勢を反省した私は、自らの罪障消滅をさせていただくために、身の周りの人や学会員を積極的に折伏し、どんなに金銭的に苦しい状況でも、毎月の登山は欠かさず参加させていただこう、と決め、おととしの十二月の月例御講からは毎月、必ず参加してきました。

主人のほうも、信仰に対する態度がだんだん変わってきて、私が会合等で遅く帰っても以前のように怒ったりせず、総会や元朝勤行などの御登山にも参加するようになりました。

すると、それに呼応するように、主人の仕事が順調に進みだしたのです。昨年四月には、まだ会社を立ち上げたばかりの社長さんから、今までの経験を見込まれてアドバイスを頼まれたことがきっかけとなり、その会社に役員として採用され、毎月、決まった役員報酬を受け取ることができるようになりました。

さらに、その会社は、七月の決算で前年比190%の増収という急成長をとげ、役員報酬が月額50万円から80万円にアップしたのです。

数ヶ所に少しずつ返していた借金は、信用保証協会から「きちんと返していく気があるのならば、一つにまとめて返した方がよいのではないか」と言ってきてくれたので、信用保証協会の保証で安い金利で借り替えることができ、いつ返し終わるかわからなかった借金の完済のめどが立ちました。

また、私自身も、昨年の四月から生命保険会社に就職しました。私の性格では、営業の仕事は絶対に無理だからやめた方がよい、と家族に言われましたが、真剣に御祈念して取り組んでいった結果、年に三回の成績優秀者が招待されるパーティーに三回とも参加できるほど、好成績を上げることができたのです。

今ではすっかり生活も安定し、安心して家族仲良く毎日を送れる状況になりました。十四年前に学会から帰伏したばかりの頃のことや、恐ろしい借金取りに追われて泣いて暮らしていた毎日を思い出すと、現在の生活は夢のようです。

御本尊様に巡り合えなければ、創価学会を脱会して正しい信仰を教わっていなければ、現在の私はありません。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。