間近に見た池田大作の醜悪さ
私は、昭和四十四年、五歳の時に両親と共に創価学会を通じて入信し、創価中学・創価高校・創価大学を卒業した、筋金入りの学会員でした。
創価学会は、何をするにも「池田センセーのために」というのが合い言葉になっていましたが、中学・高校時代に所属した野球部ですらも「池田センセーのために野球をする」というほどで、私自身、そのような空気に何の疑問も感じていませんでした。
しかし、そんな私でも、「何か変だな」と感じる場面がありました。それは、高校一年のある日のことです。「池田センセーが、野球部の皆に面談してくださることになった」と言われ、私達部員は、急きょ練習を切り上げて、全員で指定された近くの寿司屋の二階に行きました。
しばらくして、大勢の幹部や教師に囲まれた池田大作がやってきたのですが、池田は部屋に入ってくるなり、畳に横になってしまいました。部員一人ひとりが教師から名を呼ばれ挨拶している間もずっと横になったままです。
そして、池田がテーブルに用意されていたタバコを手にすると、何人もの幹部が競(きそ)うようにライターで火を付けます。しかも、池田は一服しただけのタバコを水の入った灰皿に投げ入れ、次のタバコに手を伸ばすので、そのたびに幹部達が競って火を着けるのです。わずか二、三十分の間に、10本以上のタバコが捨てられました。
池田はさっさと帰ってしまい、その後、「池田センセーはお風邪で体調が悪く、立っていられないほどだったのに、野球部の皆のために会ってくださったのだ」という伝言と共に、一人五千円ずつの小遣いが配られました。
私は内心、「風邪ならタバコを吸うのはおかしいし、そもそも、いくら相手が高校生でも、寝たまま、というのは失礼じゃないか」と思い、その疑問はずっと胸にわだかまっていました。
とはいえ、それを冷静に捉えることができたのは、後年、脱会してからのことで、大学卒業時も「学会本部に就職したい」と考えるほど、心は学会員そのものでした。さほど熱心に活動していたわけではないのですが、創価中学・創価高校・創価大学という学歴は、創価学会の世界ではそれなりにエリートであり、それが自分の自慢でもあったのです。
結局、学会本部への就職は叶わず、一般企業に就職したのですが、元来の頑迷で短気な性格と、学会時代に身についてしまったきょう慢な心から、会社ではいつも上司とぶつかったり、周囲の人を見下してしまったりして、どうもうまく行かず、職を転々としながら悶々とした人生を送っておりました。
育成が進み眷属は約二百名に
そのような中の平成五年、二十九歳の時、妙観講のIさんから電話が掛かってきました。Iさんとはまったく面識がなかったのですが、誘われるまま出掛けていき、折伏を受けました。そこで創価学会が謗法団体となってしまったこと等を聞かされ、私は、いつの間にか、学会を脱会して大石寺に帰伏することにしていました。
正直に言って、この時の私はかなりいい加減でしたので、何を話したかはほとんど覚えていません。ただ、「また大石寺に登山できるなら」という思いがあって脱会を決意したことと、学会員の友人を失うことが怖くて「学会には内緒にしておいてほしい」と言ったことは、覚えています。
とにかくビクビクしながらの帰伏でした。この時、帰伏を決意することができた根底には、あの高校時代に経験した、池田大作に対する失望感もあったのかもしれません。
しかし、法華講員になっても「学会時代にさんざん会合に出ていたのだから、会合の内容は全部わかっている。妙観講だって、どうせ同じようなものだろう。行くだけ時間と交通費の無駄だ」と思い込み、どんなに誘われても会合には参加せず、一人で勤行だけをしていました。それでも講中の先輩方は、私が悪態を吐いても見捨てることなく、根気強く励まし続けてくれていました。
しかし、そのような自分勝手な一人信心でうまく行くはずがなく、そうこうしているうちに、私は仕事上・生活上で様々な問題を抱えることになりました。
そのような中の平成十三年、付き合いのつもりで一回だけなら行ってみるか、と思い、講中の勉強会に参加しました。すると、そこで聞いた話の内容に、私は大きな衝撃を受けました。
日蓮大聖人の御書に基づいて、実証体験などをまじえながら確信の上から話す内容の一つひとつが、私の生命の中に入ってきました。そして体中が熱くなり、「大聖人様の教えとはこんなにも有り難いものだったのか。よし、自分ももう一度、真剣に信心をしてみよう!」と、心の底から感動を覚え、発心することができたのです。
それからは、講中の会合、そして御講や登山にも、自分から積極的に足を運ぶようになりました。すると、幼い頃からの一番の悩みだったアトピー性皮膚炎が、いつの間にか、きれいさっぱりと完治してしまいました。私は、こんな自分でも功徳をいただけたことが嬉しくなり、何とか御恩返しの折伏がしたいと思うようになりました。
そして、講中の先輩に相談し、励まされながら、友人・知人・会社の同僚など、身の周りの人を次々と折伏し、さらには、学会員への折伏もしていきました。
私はもともと山が大好きで、今は東京にいるけれども将来は山に囲まれたところで暮らしたい、と考えていたこともあり、「栃木県まで足を伸ばして、そこで学会員を思う存分折伏したい」と思い始めました。そのことを講中の先輩に相談すると、先輩からは「やってみなさい」と励ましていただき、それからは足繁(しげ)く栃木県に通って折伏をしました。
ところが、学会からの帰伏者は出るものの、学会時代の嫌な思い出と不信感から、信心に前向きな人はほとんどおらず、育成が進みません。でも、私自身がそうでしたので、その気持ちはよくわかりました。
その頃、会合で講頭より、「折伏しても育成を放棄していたら、折伏の功徳の八、九割を失うことになる。折伏は、育成まで行なって完結するのだ」という旨の指導があり、また先輩からは「お預かりした班員さんは全て、御仏よりお預かりした大切な後輩である」とも指摘していただきました。
そこで私は、「あれこれ自分で考えることはやめて、ただただ御本尊様にお願いしていこう。とにかく一回でも多く、一人でも多くの班員のところへ足を運ぼう」と腹を決めました。
そして、毎週のように、月におよそ三十件以上の班員さん宅に足を運び続ける中、最初はうるさがられたり怒鳴られたりもしたのですが、一年ほどが経った頃には、徐々に一緒に勤行できる方が出てきて、さらにある時からは、まるで堰(せき)を切ったように、共に信心できる同志が次々に育ってきたのです。
その人達も折伏や育成に頑張るようになり、現在では、栃木県だけでも百名、その他の地域を合わせると190名の班員さんと共に信心ができるようになりました。そして、それぞれの方が、功徳の体験を喜んで語るようになったのです。
我が人生を変えた正信の功徳
班員の体験の一部を、以下に紹介します。
◆Aさんは、学会を脱会して初めて登山した直後に、超が付くほどの早期で大腸ガンが発見され、たった一週間の入院で完治してしまいました。
◆人工透析を受けていたTさんは、周りの同じ病気の人が寝たきりや病状が悪化するなか、一人だけ体調がすこぶる良好となり、仕事にも復帰することができた上、売上げが急増するなど考えられない功徳を頂戴(ちょうだい)しました。この現証に驚いたTさんは、長男・長女・孫までも折伏し、家族揃って喜んで信心できるようになりました。
◆学会二世だったKさんは、夫婦で帰伏しました。ある時、隣の家から出火し、二十数軒が全焼してしまったのですが、Kさんのお宅は、出火元の隣だったにもかかわらず、風向きが急に反対方向に変わったために、無事でした。
その後、Kさんは、その家を高値で売却し、高台に一戸建てを新築して引っ越したのですが、昨年九月の栃木県を襲った大豪雨の際、なんと、その売ってしまった旧自宅の一帯が水没してしまったのです。
Kさん宅は二度にまでわたって守られたのであり、まさに
「火も焼くこと能(あた)わず水も漂(ただよ)わすこと能わず」(御書五一四頁)
と御金言に示されたとおりの現証でした。
◆さらに、昨年は、創価学会の大幹部をしていたSさんに出会い、折伏したところ、帰伏されました。その後、登山の直後に、それまで曲がらなかった膝が曲がり、普通に正座できるようになるという功徳を体験したSさんは、旧知の学会員を片っ端から、ほぼ毎日折伏するようになりました。
すると、作業中に鉄の破片が目に刺さってしまったにもかかわらず、唱題していると急に涙が出てきて、鉄の破片が自然と流れ出てしまい、大事に至らなかったり、五年間も体調不良で引きこもりになっていた長男が社会復帰できたりと、次々に功徳の現証があらわれました。
このように、班員さん達が体験した功徳の現証は挙(あ)げればキリがありませんが、私自身も、折伏と育成を続けてくるなか、様々な形で功徳を頂戴しました。
仕事の面では、当初こそ、社内での人間関係もうまくいかず、何度も行き詰まったりしていましたが、今では、周囲の人の協力を得られて販売実績が伸びたり、そのまま気がつかなかったら後から大クレームになるようなことを回避できたり、代理店から質問されるほんの10分前に、そのことに関する資料を見ていたおかげで即座に対応できたりと、諸天の加護によって守られていることを実感する毎日であり、そのつど御本尊様に感謝申し上げております。
また、仕事と信心活動の合間に勉強し受験した行政書士試験にも合格することができ、先般は、勤務する会社で大リストラがあって、部署で五人中三人がリストラされたのですが、私はまったく問題なくリストラを免れることができました。
さらには、購入したマンションで、十年余り騒音問題に悩んでいましたが、管理組合が私一戸のために四百万円もの費用を使って騒音対策を施してくれることになり、一気に解決することもできました。
そして、何よりも大功徳であると感謝していることは、まだ学会が破門になる前の学生時代に、「自分は広宣流布のお役に立てる人材になろう。自分の人生は広宣流布のために使おう」と決意した、その決心を、今、正統門流の正しい信心の中で思い出すことができ、新たな決意として固めることができたことです。本当に〝心の財(たから)〟を戴けたと感謝申し上げています。
思えば、学会時代の私は、何回も転職を繰り返し、常に不満を抱えて、何かに対する怒りを原動力にして生きているようなものでした。しかし、今では、講中で正しい信心のあり方を教えていただきながら折伏と育成を実践してくる中、まだまだほんの一分ではありますが、罪障消滅をさせていただき、蔵の財・身の財・心の財をいただきつつあることを実感しております。
今、残りの人生を、護法と広布のために一直線に進めるよう、日々に御祈念しておりますが、まずは令和三年の御命題達成に向けて、さらに精進してまいります。