50問50答集

30 御本尊はすべて同じであり、弘安二年の大御本尊だけを特別視する方がおかしい

身延と同じになった創価学会

『聖教新聞』(平成27年1月29日・30日)に学会教学部による「会則の教義条項改正に関する解説㊤・㊦」が掲載されました。

これは、創価学会が会則を変更して大御本尊への信仰を否定したことで、日蓮正宗から厳しい破折を受け、会員の動揺が拡がっているのを抑えるための発表であります。

創価学会 ついに戒壇の大御本尊と訣別(平成26年11月)平成26年11月8日付の『聖教新聞』上で、創価学会が本門戒壇の大御本尊を受持の対象としない旨の発表を行なったことに関する配布用チラシPD...

その内容は、わざとわかりにくい表現と構成で会員を煙に巻こうとしている節がありますが、詳細に読んでみると、従来の学会の教義解釈(主に、大石寺26世日寛上人によって体系化された、日蓮正宗の相伝教学)を完全に捨て去り、身延等の他門流日蓮宗と変わらぬ教義に塗り変えるものでした。

すなわち、創価学会はこれによって、自らが身延等と全く同等同列になったことを、あらためて世界に向かって表明したものといえます。ことの重大さに気付いていない(煙に巻かれてしまった)会員のため、以下に説明していきます。

まず、平成27年に学会教学部が発表した会則の教義条項改正に関する「解説」(以下「解説」)は、大きく分けて、「御本尊は全て同じである」「学会が自由に本尊を認定できる」という二つの柱から成っているものです。

最初の「御本尊は全て同じである」との内容についてですが、いうまでもなく、弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊の意義を否定することを目的としたものであります。

弘安二年の大御本尊とは、宗祖日蓮大聖人が『聖人御難事』において出世の本懐と示された御本尊です。その意義は、広宣流布の暁に建立される、一切衆生の信仰の中心地たる本門戒壇に安置されるべき特別な御本尊であります。

ゆえに、大聖人が御在世に顕わされた百二十数幅の御本尊のうち、弘安二年十月十二日に顕わされた御本尊の脇書にのみ、「本門戒壇」の文字が認められているのです。よって、この弘安二年十月十二日の御本尊こそ、本門戒壇に安置されるべき大御本尊であることが明らかであり、『三大秘法抄』に示されるとおり、一閻浮提の人々が懺悔滅罪を祈るべきあらゆる御本尊の総体にして根源なのです。

これに対して、各家庭や各人に下付される御本尊は、その根源の本門戒壇の大御本尊の御内証を、唯授一人血脈付法の御法主上人が、その権能において書写され、本宗僧俗に下付されるのです。

この明らかな筋目から見るとき、他の御本尊はすべて根本に対する枝、もしくは源に対する流れの関係に当たります。

この故に総本山第26世日寛上人は

「本門戒壇の本尊は応に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々の本尊なるが故なり」(御書文段二四三頁)

と仰せであり、六十五世日淳上人も、

「大聖人の御在世と御滅後を通じ根本の御本尊は此の一切衆生相与の戒壇の大御本尊にましますのであります。一機一縁の御本尊はどこまでも一機一縁の御本尊であらせられるのであります。(中略)それ故大聖人を信仰し奉る者は皆此の一切衆生総与の御本尊に帰依し奉つて真に仏の御化導に浴することができるのであります」

と御教示あそばされているのです。

創価学会では何としてもこの正義を否定せんがために、「本門戒壇」の脇書について「大聖人の御真跡ではないのではないか。大聖人が本門戒壇だと明示されたことを立証するものではない」等の言い掛かりをつけています。

しかし、もし本気でこの正義を否定したいのであれば、弘安二年十月十二日の大御本尊以外に、大聖人が「本門戒壇に安置すべし」と指定された御本尊を出すべきです。それができない限り、学会の主張には根拠も正当性もないのです。