50問50答集

18 正宗寺院に預けた遺骨が、他人の遺骨を渡されたなどとして、各地で訴訟が起きたが

創価学会は、平成4年頃から、宗門を相手取って次々と訴訟を起こしてきました。その目的は、およそ次のようなところにあった、といえます。

①訴訟を起こすことにより、学会内部に向けて「宗門を訴えた」と大宣伝し、学会員に「宗門=悪」の印象を植え付ける。
②裁判でかかる莫大な労力と費用を日蓮正宗に負担させ、もって宗門の疲弊をはかる。
③あわよく創価学会が勝利すれば、「宗門敗訴」を大々的に宣伝し、日蓮正宗のイメージダウンを計る。

こうした目的で行われる訴訟ですから、ともかく多くの訴訟を起こすことが大切となり、したがって、その対象となった“事件”の多くは取るに足らない粗末な事柄だったり、あるいは事実歪曲に基づくものでありました。

その中でも、「寺院に預けていた遺骨が取り違えられている」などとして、日蓮正宗寺院の納骨に対する訴訟が全国各地の学会員によって起こされましたが、この一連の裁判に関しては、多くが学会員による自作自演であったことが、法廷で解明されています。その一部の事件について紹介します。

「これは許せぬ!我が子の遺骨がコーヒーカップの中に」「ひどすぎる骨壼のスリ替え」

などの見出しが躍った平成4年12月2日付の『創価新報』。
日蓮正宗・持経寺(神奈川県川崎市)を舞台に繰り広げられたコーヒーカップ骨壺訴訟事件は、インパクトといい、経緯といい、最も記憶に残る納骨訴訟の1つです。
『新報』の報道を見てみると―

「Oさんの預けていた骨壺は白布に包まれていた。布を開くと蓋(ふた)は裏表になっており、Oさん夫妻はこの時点で『おかしい』と感じた。

だが、もっと異常な事実に気付いた。何と骨壺に取っ手がついているのだ。
『これはコーヒーカップじゃないか!』

それは、まぎれもなくコーヒーカップだった。(中略)しかも縁が欠けており、コーヒーのカスがこびりついている。まるで使い古して捨てられていたようなものなのだ」

そして平成5年3月、学会員夫妻は、持経寺に対し慰謝料の支払いを求め、横浜地方裁判所川崎支部に提訴したのです。

一審では、学会員O夫妻の訴状によれば、「遺骨を受け取ったその場で白布の中を確認したところ、取っ手のついたコーヒーカップに遺骨が入れられていた」といいますが、じつは、その現場は監視カメラによってしっかり録画されていたのです。

というのも、当時、遺骨返還をめぐって宗門と学会の間でトラブルが多発していたことから、当寺ではその対応のために、現場にビデオカメラを設置しており、当日の一部始終が記録されていたのでした。

このビデオテープを証拠として法廷に提出したのですが、なんと、1審ではこれに全く触れぬまま、また学会による宗門攻撃の実態を理解することなく、学会員側の一方的な主張を受け入れ、不当判決を下したのでした。

東京高裁における二審では、再度、当日のOらの不審な挙動について訴えると同時に、もう1つの決定的証拠を提示しました。

それは、「コーヒーカップの製造時期」です。問題のコーヒーカップが製造されたのは昭和59年以降で、学会員夫妻が主張する、遺骨が入れ替えられたとする時期、「昭和57年夏から58年暮れにかけて、納骨堂の改修工事等に伴って行なわれた、遺骨の移転作業の際」には、問題のコーヒーカップはこの世に存在しなかったことを、製造業者の証言等で立証し提示したのでした。

その結果、東京高裁は、学会員らの自作自演の可能性を指摘し、持経寺の逆転全面勝訴判決を言い渡したのであります。

この判決を不服として、学会員側は最高裁に上告しましたが、平成10年10月7日、最高裁は原告側の上告を棄却し、持経寺側勝訴の判決は確定しました。

また法廷では、事件当時、学会員の遺骨の引き取りは全て学会の「指示」によって行なわれていたことも、判明しています。

学会からの指示を受け、幹部らも付き添って遺骨を引き取りに行った場で起きた、この自作自演の事件。この一連の裁判の判決について、創価学会は一審勝訴の際には「聖教新聞」などで大々的に取り上げ、日蓮正宗の責任について言及していましたが、東京高裁の逆転判決や最高裁の確定判決については、一切報道していません。