日蓮大聖人の御書の中に、開眼供養について御教示されたものが何編かあります。それらの御教示には、いずれも開眼の意義とその必要性が明かされています。
しかし、御本尊の書写や開眼についての御教示は、相伝にかかわることであり、御書や歴代上人の御記述においてもその数が少ないのは当然といえます。
そのなかで、日蓮大聖人は
「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(全集366頁)
「此の画木に魂魄と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり(中略)画木にて申せば草木成仏と申す」(全集1144頁)
と仰せになっています。
また『木絵二像開眼之事』に、
「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」(全集468頁)
と説かれ、開眼の重要性を示されているのです。
かつて創価学会でも、
「われわれがいただいている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これまた生身の御本仏様であります。
この御本尊様こそ、真の木絵二像開眼の姿でなくてなんでありましょうか。これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対になしえないところであり、ただ日蓮正宗のみのもつ深秘の法門であります。邪宗がいくら日蓮正宗の御本尊をマネて作ってみたところが、それこそ馬の骨なのであります。否、恐ろしい毒薬の働きをもつのであります。」(昭和37年1月『大白蓮華』戸田会長)
と指導していたではありませんか。
それを都合が悪くなると「開眼供養は必要ない」などと指導する学会の言い分は、まさに自語相違です。