私たちの知るかぎりにおいても、池田大作には罰が出ています。
そもそも、ここまで大謗法を重ねた池田に罰のないはずがありません。
現に池田は、自分の次男を29歳という若さで亡くしています。三人の子供の中でも、体型も性格も一番自分に似ていて、まさに後継者と目していた、最愛の次男を若くして失ったことは、罰ではないのでしょうか。
その次男は「創価学会の会長というのは、日蓮大聖人の次の位だ」などと平然と口にしていました。大聖人の次の位といえば、第二祖日興上人ではありませんか。これこそ、血脈否定・三宝破壊の大謗法であります。
昭和59年、その彼が胃穿孔によって急死したのです。
彼の場合、不可解なことに、胃穿孔になった時、偽名を使って産婦人科の病院に入院し、その結果、手遅れとなって死んでいるのです。死ななくてよいところで命を落としてしまったことは、じつに気の毒で、まったくもって罰としか言いようがありません。
しかも、池田の著書である『人間革命』に同じような話が出ているのです。「岡田一哲」という人物がニセ本尊を書き、その結果、仏罰によって胃穿孔で死んでしまった、と。
さらに恐ろしいことに、池田が次男を亡くした昭和59年という年は、池田が板御本尊を模刻した、いわゆる昭和52年路線といわれる年から数えて、まさに7年目に当たっているのです。
日蓮大聖人は、大謗法の果報は
「百日・一年・三年・七年」 (全集911頁)
という節目に現われてくると仰せですが、まさに、その7年目に厳しい罰の現証が現われたものといえましょう。
池田の身に現われている罰の現証は、これだけではありません。平成22年5月を最後に、池田大作は表舞台から完全に姿を消しています。
そして、
「法華経の行者を軽賎する王臣・万民、始めは事なきやうにて終にほろ(亡)びざるは候はず」(全集1190頁)
との御金言どおり、池田大作は冥罰によって破滅したのです。
なぜ「破滅」といえるか、ということですが、時折、『聖教新聞』に載る写真等で分析するかぎり、辛うじて生存だけは確認できるものの、池田は脳に重大な障害をきたしており(いかに修正を加えようと隠しきれない不自然な無表情)、普通の会話ができず(肉声はおろか最近の音声メッセージすら公開できない)、歩行不能(両足の肉が落ちて異様に細くなっている)の状態にあることが窺われ、まさに生ける屍となっているのです。
しかして池田は、死ぬこともできず、快復することもできず、自らが全ての権力を握りしめたまま、生ける屍となってしまったのであり、その苦しみたるや、まさに生きながらにして無間地獄の様相であり、冥罰による「破滅」という以外ありません。
この池田大作の冥罰の姿をもって、池田創価学会が大謗法の団体であることを知るべきでありましょう。