50問50答集

7 創価学会こそ、大聖人直結の団体である

「創価学会は日蓮大聖人直結の団体である」―多くの学会員がこのように教えられ、また何の疑問もなく、そう信じてきたものと思います。

では、学会で教える「直結」とは、どのような意味だったのでしょうか。

「日蓮大聖人の正真正銘の門下であるならば、日蓮大聖人の振る舞いと、その精神を根本にすべきなのであります。それは、途中の人師、論師ではないということなのであります」(池田講演・『聖教新聞』S52.2.17)

「大聖人直結の広布の団体である学会」(池田講演・『聖教新聞』H20.4.28)

すなわち、学会で言う「直結」とは、”途中を経(へ)ることなく直接に結びつく”との意であることは、一目瞭然です。

こうした思想が、いつ頃から根付いていたのかは定かではありませんが、おそらく創価学会の初期の頃から、徐々に醸成(じょうせい)されていったものと思われます。

そして、正本堂が落慶した昭和47年には、こうした直結思想が学会内に蔓延しつつありました。現に当時、池田大作の次男・城久(昭和59年に29歳で急死)なども、
「会長は日蓮大聖人の次の位である」
と述べ、日蓮大聖人に直結する位が池田会長である、と断言していました。

しかしながら、約800年前に出現あそばされた日蓮大聖人と、今日の池田大作(及び創価学会)が、直接どうつながるのか、その7百年間の隔たりをどう解決するのか、よく考えてみればおかしな話であり、そこには大変な間違いが潜(ひそ)んでいたのです。

日蓮大聖人は二箇相承において、
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。(中略)血脈の次第 日蓮日興」(全集1600頁)

「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」(同頁)

と仰せられ、第二祖日興上人を大聖人の後継者と定めて、「大導師」の位を委譲し、これに背く輩は非法の衆である、と戒められています。

しかるに、日蓮大聖人に直結する位が池田会長で、学会は大聖人直結の団体であるというならば、大聖人の後継者たる第二祖日興上人はじめ御歴代上人を無視し、否定することになるため、大聖人の戒められた非法の衆(大謗法の輩)となるのであります。

また第2祖日興上人は、『佐渡国法華講衆御返事』に
「この法門は師弟子を正して仏に成り候。師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持(たも)ちまいらせて候へども、無間地獄におち候也。(中略)聖人の御後(おんのち)も、末(すえ)の弟子どもが、これは聖人の直(じき)の御弟子と申やから多く候。これが大謗法にて候也」(歴全1-P183p)
と仰せられ、大聖人直結の信仰を標榜(ひょうぼう)する信徒を「大謗法にて候也」と戒められています。学会員は、よくよく反省懺悔をいたすべきであります。

なお最後に、文字に捉われて義のわからない狂信者のために、念のため一言しておくことにします。

ここで「直結」がいけない、といいましても、それは冒頭でも述べたように、”途中を経ることなく直接(大聖人に)結び付く”ことを目指す在(あ)り方がいけないのでありまして、もし、単に”横道に逸れることなく真っ直ぐに(大聖人に)つながる”との意味であれば、「直結」という言葉を用いること自体に問題はありません(学会の言う「直結」は前者だから大謗法なのです)。

たとえば、65世日淳上人が
「(法華講という)名称について、宗門に於ては或は古いとか、或は他宗とまぎらはしいとかの意見もままあるやに聞きますが、それは何かの勘違ひではないかと思ひます、若し他宗にあるならば法華講の由来を説いて本宗の法華講でなければ意義をなさず、又大聖人に直結し奉ることが出来ない意味を説いて教化すべきであります(「日蓮正宗法華講について」『日淳上人全集』下巻P1165)
と仰せられている「直結」の趣旨は、文脈上、明らかに後者であって、学会の言う「直結」とは全く意味が違います。

したがって、この日淳上人の御文を引いて、学会の直結信仰を肯定することなどできない、と知るべきでありましょう。